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 「強いという事 」     written by Nobuaki Uemura
               From    める研(http://ray.727.net/)
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 ボクシングに限らず格闘技に親しんでいる人間になら、「強さ」というのは
幻だというのがわかると思う。

 いくら強くなっても上には上がいるし、年を取る度に衰えていくのは避けら
れない。肉体的な強さというものには限界がある。

 様々な格闘技を極めた格闘家でも体重50キロでは、体重120キロの素人
に負けてしまうかも知れない。また、体も大きく武術の心得があっても、銃を
持った小学生に撃ち殺されるかも知れない。

 ルールのない戦いは、ただの争いでありナンセンスである。そういう意味で
は、勝つ事が必ずしも強さの証明になるとは限らない。

 しかし、それでも人は強さに憧れ、強さを求める。それは人間の生物として
の本能であり、強さは弱肉強食の世界で生き延びるための必須要件だからだ。

 原始社会では、獲物を捕食する力、食べれる草と食べれない草を見分ける知
識、外敵から身を守る術、の3つが備わっていないと生き残る事はできない。

 現在の社会では、強さとは単純に「戦う力」の部分だけがクローズアップさ
れているが、現代社会で生き残るためには、お金を稼ぐ能力や複雑な社会に適
応する順応性の方が大事だ。

 社会制度や経済なんていう怪物と戦うには、腕力ではとても太刀打ちできな
い。口先1つで財産を巻き上げる妖怪は、法律という固い岩に開いた小さな穴
に巣くっている。

 どんなに腕力が強くても岩を砕く事は出来ないが、どこに穴が開いているか
わかれば妖怪は退治できるだろう。

 生きている限り我々は戦い続けているのであり、誰もが心の内に強さを秘め
ている。格闘技における勝利は偶像に過ぎない。生き残った者が強かったとい
うのが真理だ。

 だがそれでも人は偶像を愛し、崇拝する。強いという事は、人が人間である
前に動物である、という事を証明しているようなものだというのに・・・。